ウインドサーフィン・エッセイ_23

ここまでおいで
Text=Takayoshi “Yanmer” Yamamoto(HALE Surf & Sail_Enoshima)

ウインドサーフィン・マガジン
Björn Dunkerbeck(ESP-11)& Matteo Iachino(I-140)/ ⒸStarboard

ただ走ってジャイブして、スラロームって飽きるよね。フリースタイルは複雑でちまちましてるし、ウェイブなんて難しそうだし、フリーライドは中途半端だし‥‥。

??? ウインドサーフィンを知り尽くしているのなら別だけど、まだキャリアが浅いのに、誰かに影響されて、あるいは自分で好みを決めつけて、自らの可能性を限定してしまっているのだとすれば、すごくもったいないと思うんですけど‥‥。

僕はたまにわけ知り顔の誰かに言われることがある。「凄いね、いつも海に出てるんだね」と。この場合の「凄いね」は「よく飽きないね」というような意味だ。そんなニュアンスがびんびんに伝わってくる。

ただ楽しいから海に出ているだけなのに、なぜそんな言い方をされなくちゃならないのか。そうも思うけれど、そういう人には何を言っても通じない。「ウインドサーフィンには、わけがわからないほどの楽しさがあるのだよ」なんて言ってみても、何を守ろうとしているのかわからない、その人の中の分厚い壁に弾き返されてしまうのがオチとなる。

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ⒸEric Emmanuel_TAHE

だから僕は独り言のようにつぶやいて海に出る。

「ウインドサーフィン、飽きるところまでやってみたいもんだぜ」

それが無理なことはわかっている。だからこそ僕はウインドサーフィンを続けている。続けることができている。ウインドサーフィンは長く、人生は短い。

でも海に出れば、あれもこれも全部忘れる。ふとシバーして立ち止まったときなんか、ひとつ壁を越えたところにある「こっち側」に来られたような気がして嬉しくなる。ウインド好きの仲間みんなに「ここまでおいでー!」と叫びたくなる。

だから真っ白なキャンバスのような、あるいは乾いたスポンジのような若いウインドサーファーのみんなには、誰かの浅い言葉にはくれぐれも気をつけてほしいと思う。彼らが有するこだわりは楽しむためのアイテムになることもある(ごくたまにはなるかもしれない)けれど、あまり小さなことにはこだわらないよーに。なんでもないところで行き詰まって、ウインドサーフィンがつまらないもになる可能性があるからね。

海と風と人をシンプルにつないでくれるこの乗り物がどんなに凄いか。その面白さ、奥の深さを語れる人がいるとすれば、それは今のところロビー・ナッシュ大先生くらいのものだと思う。僕なんかは「もうやんなっちゃうほど凄いんです」くらいしか、それを表現する言葉を持たない。

自分の中に変なこだわりが生まれたら、そのときこそ言葉にならない世界に飛び込むときなのかもしれない。海と風の力を借りて、ウインドサーフィンで海に出れば、いつだってすぐに自分をゼロにリセットできる。そういう乗り物に出会えた幸運に、僕は心から感謝している。

─── 山本隆義(ハレ サーフ&セイル_江の島


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