家から湘南に向かう時にはいつも第三京浜を使う。片側三車線の広めの自動車専用道で、料金所付近以外ではあまり渋滞することがない。晴れた日には進行方向に広く空を見渡すことができるので、夏は入道雲の形を見たり、冬は澄んだ空気の深度を確かめたりしながら車を走らせていく。気持ちよく走れる道路だ。でもだからこそ気をつけなくてはいけない。この道を流す覆面パトカーも結構多いと聞く。僕は速度計を確かめる。80km/h。よしよし、制限速度ぴったりだ。そして──僕の車にはタコメーターがないので──その時のエンジン音を確かめておく。
で、そんなときに時々思うことがある。ウインドはこれ以上のスピードで走るんだよなぁとか、いま車のボディが吹っ飛んでシャシーだけで走ることになったら、どれ程の進行風を受けることになるんだろうとか。
ウインドサーフィンのスピード世界記録をご存知ですか?
2015年11月1日、アントワン・アルボー(PWAスラローム 9×チャンピオン)はアフリカ大陸南西部に位置する共和国、ナミビアにいた。Luderitz(リューデリッツ)。その国のさらに南西部にある砂漠と廃墟の町の海沿いに、スピードトライアルのために掘られた人工の水路があるからだ。そこには南大西洋から吹き込む強風が、ほぼ水路に沿って吹き抜ける。つまり強烈なダウンウインドの風になるわけだが、それでも自然の波の運動とは無縁の水面は、ほぼフラットな状態をキープする。
アントワンはその水路を何度も疾走、爆走した。前日には28回のランを繰り返し、瞬間最高速では54ノットを超えた。それは自らが2012年に同じ水路で樹立した52.62ノット(93.74km/h)のウインド世界記録を上回る速度ではあったのだが、記録には残されていない。正式なスピード記録は「500m以上の計測区間の平均速度」でなくてはならないからだ。
クラッシュもした。51ノット(94.45km/h)で走っていたとき、フィンが圧に耐えられずにスピンアウト、テイルが滑り、次の瞬間には185cm、100kg超のアントワンの巨体は、まるで超人界の柔道家に見事な背負い投げを食らったように吹っ飛ばされて、水切り遊びの石のように三度水面を跳ねて沈んだ。
そのとき水面はどれだけ硬くなっていたのか。一説によれば時速100kmで水面にぶつかると、水が変形するスピードが追いつかず、水面はコンクリートと同等の硬さになるという。だがアントワンはほとんど無傷だった。石になりきっていたからかもしれない。ビデオで確認したのだが、アントワンはほとんど動かずに道具をコントロールしていた。強風とスピードとクラッシュの恐怖など感じない、道具を安定させるための重しになっているように見えた。
そしてその翌日に世界記録を達成した。アプローチエリアからベア、一直線にダウンウインドを下っていくアントワンとその道具は、平らな水面の上を飛び続ける平らな石になった。ほぼ水の変形を許さない速度をキープして、計測区間を走り切った。その間わずかに30秒余り。記録:53.27ノット(98.65km/h)。
僕は車を走らせながらそのことを思う。細くて不安定なボードの上に立って、これ以上速いスピードで走るとはどういうことか。プレーニングの最低速度は時速20キロほどだというけれど、アントワンはその5倍くらいの速さで走っていることになる。それに水の上での体感速度は陸上で感じるそれの3倍ほどになる、という説もある。だとすれば、アントワンは生身で時速300キロで走るボードの上に立っているという感覚なのかもしれない。わお、なんてこった。まったく想像できない世界だ。
そんなことを考えながら、僕はもう一度車の速度計を確認する。80キロ。海上なら26キロくらいの感じなのかもしれない。遅い? でもウインドが未知の世界に通じていることを思いながら第三京浜を走るのはいいものです。運転席で胸を張りたい気分になったりして。