追走する絶対王者

PWA WORLD TOUR 2017
EVENT_09_Final Event / Slalom Men #7・Slalom Women #4
November 21-26 / Anse Vata Beach, New Caledonia
浅野則夫、クォーターファイナル(トップ32)の常連に

「今期は積極的に世界へ出る」シーズン開幕前に浅野則夫はそう言った。そしてそうした。
▶︎5月初旬、PWAワールドツアー韓国大会(スラローム)ノーレース。
▶︎5月中旬、同日本大会、1レースが成立したのみで49位(フィンに藻が絡んでしまった)。
▶︎9月、同デンマーク大会、7レースが成立したものの46位。
▶︎10月、ナミビア共和国『リューデリッツ・スピード・チャレンジ』に参戦、日本スピード記録を更新し、
500mの平均速度で43.98ノット(81.45km/h)の新しい世界に突入。そして───
▶︎11月、今期PWAワールドツアー最終戦ニューカレドニア大会、29位。

以上が2017年、日本の絶対王者、浅野則夫の世界での結果だ。
日本に敵はいない。ジャパンサーキットのメンズ・スラロームは、もう20年以上も浅野が支配し続けており、そこはほぼ浅野の勝利を確認する場となっている。結果的に浅野とは無関係なところで行われる2位争いは、彼らの中で完結させるしかない物語となり、浅野だけがその視線の先にみえる幻の世界へとストーリーをつなげている。
いや、もちろん浅野の他にも世界(PWA)へ挑戦している選手はいる。それはポジティブに未来を拓こうとする素晴らしい姿勢ではあるのだが、しかし実際問題として本当の意味で世界と戦えるレーサーは、残念ながら今の日本の男子選手のなかには、浅野以外には見当たらない。

All Photo by John Carter / pwaworldtour.com Antoine Albeau(FRA-192)/ Norio Asano(JPN-25)
All Photo by John Carter / pwaworldtour.com
Antoine Albeau(FRA-192)/ Norio Asano(JPN-25)

 

浅野は世界と戦えているのか?

今大会──2017 PWA ワールドツアー・ファイナル『ヌメア・ドリーム・カップ(ニューカレドニア)』──では、メンズのスラロームで6つのレースが成立し、不成立とはなったものの第7レースの二回戦までが行われた。
浅野は全部で14のヒートに出場した。

▶︎第1レース=三回戦クォーターファイナル進出(3ヒート)29位タイ
▶︎第2レース=三回戦クォーターファイナル進出(2ヒート)25位タイ
▶︎第3レース=二回戦敗退(1ヒート)33位タイ
▶︎第4レース=三回戦クォーターファイナル進出(3ヒート)21位タイ
▶︎第5レース=三回戦クォーターファイナル進出(2ヒート)25位タイ
▶︎第6レース=三回戦クォーターファイナル進出(2ヒート)25位タイ
▶︎第7レース=三回戦クォーターファイナル進出(1ヒート)(レース不成立)
※最終順位29位。

7レース中6回、85%以上の確率で浅野は三回戦に進出したことになる。つまりクォーターファイナルの常連だった。
この試合、浅野は世界のトップ32の一人になったのだ。それがどれほどのことか。トーナメント・ラダーの成り立ちを知ると想像できる。

第7レース(不成立)のトーナメントラダー。枠外の赤色数字は第6レースの順位を示す。
第7レース(不成立)のトーナメントラダー。枠外の赤色数字は第6レースの順位を示す。

 

※メンズのエントリーは64名 / 1ヒートは8名で上位4名が次のラウンドへ進出する。
▶︎一回戦=ノーシードの32名(8名×4ヒート)
▶︎二回戦=第二シード(前のレースの17位~32位)16名+16名(一回戦からの勝ち上がり)=32名(8名×4ヒート)
▶︎三回戦(クォーターファイナル)=第一シード(前のレースの1位~16位)+16名(二回戦からの勝ち上がり)
=32名(8名×4ヒート)
▶︎セミファイナル=クォーターファイナルからの勝ち上がり16名(8名×2ヒート)
▶︎ルーザースファイナル=セミファイナルで敗退した8名による9位~16位決定戦(8名×1ヒート)
▶︎ファイナル=セミファイナル勝ち上がり選手による1位~8位決定戦(8名×1ヒート)

二回戦の4つのヒートには、前のレースで17位~32位(実際には17位タイ~29位タイ)になった選手がそれぞれ4人ずつ組み込まれ、三回戦(クォーターファイナル)の4つのヒートには、前のレースの1位から16位の選手がそれぞれ4人ずつ組み込まれる。つまり浅野は、今大会を通じて、ほぼ世界のトップ16と戦い続けたということになる。

トップ16の壁と突破口

当然のことながら、セミファイナル(トップ16)への扉は固く閉じられていた。浅野は何とかそれをこじ開けようとした。でも思い通りにはいかない。浅野はスタートで遅れ、ファーストマークで遅れ、世界のトップランカーに先を行かれた。しかしそれでも浅野は、彼らの航跡を弾きながら、彼らの背中を追い続けた。
そこにあるのは幻の世界なんかじゃない。ライブ中継を見ながら僕はそう思った。
そこには日本では見られない、リアルな世界を追走する浅野がいた。

2_NC17_sl_Malte_Ruescher

 

浅野は自分の「ブログ」の中でこう言っている。
ベスト16の壁「ほんと、あと少し、あと少しのスピードがあれば」セミファイナルに勝ち上がれるチャンスが生まれる。
「デンマーク大会のとき(二ヶ月前、総合46位)と比べれば格段に速くなっている」
「でもあと少し。なにか、なにか、あるんです」

大会五日目、メンズの第7レース。
その前に行われた第6レースで25位タイだった浅野は、二回戦のヒート8に出場した。
セイルは『S2 マウイ / ベノム7.7㎡』ボードは『ファナティック / ファルコン114ℓ』。
以下当人のブログより───
「PWAの選手も7.8㎡くらいのセイルを使っていて、風もちょっと落ち気味だった。これはまさに大チャンス!
スタートもまあまあ良く、第1マークをトップで回航、そしてそのままトップフィニッシュ。(フルタイムワールドカッパーである)アントワン・クエステルやマテウス・アイザックを抑えちゃった。次は三回戦。かなり俺のコンデション!」

このあと風が落ち、第7レースは成立しなかった。
だが浅野はおそらく世界に通用する、いや世界のトップに十分に通用する自分の風域を見つけた。
ライトコンディションで、アンダー気味であればいける。
そこが突破口になるかもしれない。世界のベスト16の壁を抜ければ、また別の浅野が生まれる。

来期の浅野の予定は聞いていない。でも確かな手応えを得ただろう彼は、きっと来期も走り続ける。
世界トップレベルのランナーが「あと少し」で越えられそうな0.1秒の壁と戦うように。(文中敬称略)

▲浅野則夫_Norio Asano(J-25)1971年3月21日生まれ、46歳。日本最速、スピードキング。中学1年生のときに ウインドを始め、17歳でプロに転向。19歳で日本チャンプとなり、以来日本レース界の絶対王者として君臨。 2009年と'13年にはJWAのウェイブでも年間王座を奪取。「日本一のウインドサーファー」の名声を確固たるものと する。今年1月のジャパン・サーキット『トヨタ・ジャパン・カップ 2017』でも5レース全ピン(1位)で完全優勝。負ければニュースになる超大物。『S2 マウイ』などを扱う『レッドアイアン社』代表。180cm、78kg。
▲浅野則夫_Norio Asano(J-25)1971年3月21日生まれ、46歳。日本最速、スピードキング。中学1年生のときに
ウインドを始め、17歳でプロに転向。19歳で日本チャンプとなり、以来日本レース界の絶対王者として君臨。
2009年と’13年にはJWAのウェイブでも年間王座を奪取。「日本一のウインドサーファー」の名声を確固たるものと
する。今年1月のジャパン・サーキット『トヨタ・ジャパン・カップ 2017』でも5レース全ピン(1位)で完全優勝。
負ければニュースになる超大物。『S2 マウイ』などを扱う『レッドアイアン社』代表。180cm、78kg。

 

 

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38位_山田昭彦(JPN-67)/ 46位_穴見知典(JPN-60)/ 47位_国枝信哉(JPN-22)/ 54位_叶幸司(JPN-63)/ 62位_長谷川篤(JPN-12)/ 64位_廣田眞男(J-11)
38位_山田昭彦(JPN-67)/ 46位_穴見知典(JPN-60)/ 47位_国枝信哉(JPN-22)/
54位_叶幸司(JPN-63)/ 62位_長谷川篤(JPN-12)/ 64位_廣田眞男(J-11)