新艇種 iQFOiL とは?(前編)
The Official 2024 Olympic Windsurfing Class
What’s iQFOiL?
Photo by Starboard / Starboard WebSite
2024年パリ五輪でウインドサーフィン・クラスの艇種が変わることが決まった。その経緯はこうだ。
2019年9月、ワールド・セイリング・カウンシル(World Sailing Council)は、イタリア・ガルダ湖に関係者を招集して海上トライアルを開催した。2024年パリ五輪・ウインドサーフィン種目の公式エキップメントを決めるためだ。
最終候補には現在のオリンピック公式艇である『RS:X』を始め『Glide』『iQFoil(当初は「iFoil」と呼ばれていた)』『Windfoil 1』『Fomura Foil』の5艇が残っており、それぞれついてコスト、クオリティ、フォーマット、アピール度などのプレゼンテーションと審査が行われた。
同11月、バミューダで行われた年次総会(World Sailing Annual Conference:Bermuda 2019)においてその結果が発表され、2024年パリ五輪の公式艇に『iQFOiL』が採用されることが決定した。聞くところによれば、投票権をもつ31人のメンバーのうちの20人以上の賛成を得たという。
ボード部の製造を担当するスターボード社とリグ部を受け持つセバーン社が2002年から続けてきたオリンピック・キャンペーンが実を結んだということになる。「これはウインドサーフィン界にとってビッグニュースであり、このスポーツの未来の礎にもなるだろう」と両社はコメントを出している。
|| iQFOiL とは?
▶︎Foil(フォイル)=水中翼(HydroFoil)あるいは水中翼船のこと。ウインドサーフィンでは、水中で機能するようボードのボトムにセットするウイング・システムのことを言う。形状は飛行機に似ており、マスト(支柱)フューサレージ(胴体)フロントウイング(主翼)リアウイング(尾翼)で構成される。
セイルパワーによりボードが走り始めると、ウイングから揚力が発生し、乗り手ごとボードを水上にリフトさせる。これにより大幅に抗力が減少し、効率的にボードの速度を上げたり、あるいは維持することが可能になる。最近ではアメリカズカップの大型ヨットや、カイトサーフィン、サーフィンのボードにもフォイルが用いられるようになり、ウォータースポーツに新たな世界を創出している。
▶︎iQFOiL(アイキューフォイル)=(イノベーション・クォリティ・フォイル)=2024年パリ大会よりオリンピック・ウインドサーフィン・クラスに採用される公式エキップメント。タイに本社を置くスターボード社が開発したボード部(ボード、フォイル、フィン)とオーストラリア・セバーン社が開発したセイル部(セイル、マスト、ブーム、ジョイントベース)をセットにしたワンデザイン・エキップメントのこと(ボードとフォイルがそれぞれ単体で「iQFOiL」と呼ばれることもある)。
『iQFOiL』は五輪史上初めて導入されるウインドフォイル艇で、参加者全員が同じ道具でレースを競うのはこれまでと同じだが、揚力発生効率の高いフォイル(※前項参照)により、微風域からフォイル本来の滑空レースができる。「海を飛ぶ」その道具と乗り手は、未来のセイリングスポーツを可視化する存在として、多方面から注目を集めている。
|| iQFOiL STORY「オリンピックの壁を越えて」
オリンピック公式艇の変遷
ウインドサーフィンが初めてオリンピックの正式種目に採用されたのは、日本で『サムタイム・ワールド・カップ』が始まったのと同じ年、1984年のことだ。世界的ブームとともにロスアンゼルス大会に登場したその真新しいウォータースポーツは、五輪の華のひとつとして輝き、広く世間の耳目を集めた。
それから36年、ウインドサーフィンは10大会連続でオリンピック種目であり続けているわけだが、その間にいくつかの重要な変化があった。まずはそのひとつ。公式エキップメントの変遷について。
1)WINDGLIDER(ウインドグライダー:390×65cm / 6.5㎡)1984年ロサンゼルス五輪 ※ハーネスの使用は不可。男子のみの開催。
2)LECHNER(リヒナー:390×63cm / 7.3㎡)1988年ソウル五輪、1992年バルセロナ五輪 ※’92年大会より女子クラスも開催。
3)IMCO(International Mistral Class One-design_イムコ:372×63cm・15kg・235ℓ / 7.4㎡)1996年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪、2004年アテネ五輪 ※日本学生ボードセイリング連盟の公式艇でもあった。
4)RS:X(アールエスエックス:286×93cm・15.5kg・231ℓ / 男子9.5㎡、女子8.5㎡)2008年北京五輪、2012年ロンドン五輪、2016年リオデジャネイロ五輪、2020東京五輪 ※’90年代から劇的に進化したウインドサーフィンギアとのギャプを埋めるため、ボードはショート&ワイド型になり、中・強風下での高速プレーニングを実現。
オリンピックでは公平を期すために、すべての選手が同じ道具(ワン・デザイン・エキップメント)を使用しなければならない。その上で、スケジュール通りに競技を成立させる必要がある。無風だから微風だからと簡単にレースをキャンセルするわけにはいかない。だからこれまでオリンピックのウインドサーフィン・クラスには、ライトウインドでも走れる(頑張れば走らせることができる)道具が選ばれてきた。
「微風でも走れること」を考慮して開発を進めれば、道具は大きくなり、そのぶん重量もかさんでくる。そうなれば当然強風での扱いが難しいものとなり、最適風域は狭くなる。公式エキップメントの変更は、その弱点を埋めるために行われてきたのだが、着実な改善はあったものの、大きな進歩を見るには至らなかった。
程度の差こそあれ、選手はずっと微風でも強風でも、道具とも戦いながらメダルを目指して走ってきたのだ。それは、これまでのオリンピックレースの魅力のひとつでもあった。多くの場合、レースは力感に満ちており、選手の必死な表情や、精魂尽き果てた表情も、激しい戦いを物語るものとして見るものの心を震わせた。しかし・・・。
オリンピックからウインドサーフィンが消える?
この36年のあいだに、ウインドサーフィンはいくつもの進化を重ねている。ボードの主流はロングからショートになり、セイルの揚力発生効率が高まり、コンディションによる道具の細分化が成されて、高速化が進んだ。そんな中で従来型のクラシカルなオリンピック・エキップメントは、当事者だけの特別な道具になってしまった。
いま東京五輪に採用される道具がRS:Xだと言っても、それをイメージできる人はほとんどいない。ウインドサーファーの中にあっても、知らない人の方が多いはずだ。「え、ウインドサーフィンってオリンピック種目だったの?」という人だって少なくない。それはオリンピックにおけるウインドサーフィンが特異なウインドサーフィンになってしまったからかもしれない。
このままではいけない。遠にブームも去ってしまっている。それに加えて、オリンピックのウインドサーフィンが忘れ去られてしまえば、このスポーツから大切な光が奪われてしまうことなる。
「オリンピックのセーリング種目からウインドサーフィンが外されるかもしれない」そういう噂もあった。実際ワールド・セーリング(国際セーリング連盟)のミーティングでは、そういう議論がなされていた。そこに救世主のように現れたのが『iQFOiL』である。
アメリカズカップの衝撃
ウインドサーフィン用のフォイルは’70年代の後半には既に存在していた。ウインドサーフィンの原型であるサーファー艇にベルトで巻き付ける4ウイングタイプのビッグフォイルがどこかのガレージで工作され、その大きなボードを浮かせていた。その後も『オルー』『F4』『ローク』などの先進的ローカル・ブランドがカスタム・フォイルを限定的に供給し、スターボード社も2003年、マウイのウォーターマンであるラッシュ・ランドルとともに、アルミフォイルを製造した。
でも流行らなかった。当時のそれは重くて遅く、魅力的ではなかったからだ。ただ教訓は得られた。「フォイルならすぐにウインドサーフィンを浮かせることができる!」その売れないフォイルにさえ、ボードがプレーニングに入る前に、いやそれよりかなり早い段階でボードを持ち上げるパワーがあったのだ。それは可能性の塊だった。
2013年、衝撃的な事件(?)があった。アメリカズカップを戦う大型ヨットがフォイルで飛んだのだ。その艇のスピードは50ノット(約92km/h)を超え「スピード革命」と謳われた。これを機会にスターボード社のフォイル部門が再び動き始めた。そして2016年『iQFOiL』の原型ともいえるカーボン製『レーシング・フォイル』が誕生した。
デザイナーのティエスダ・ユーとレミ・ヴィラ、ライダーのゴンザロ・コスタ・ホーベルが主導して改良を進めた。
2017年にはPWAワールドツアーがエキジビション競技として採用したフォイルクラスで『レーシング・フォイル』がチャンピオン・ギアとなり、翌2018年には正式種目になった同クラスで『レーシング・フォイル』を駆るゴンザロが、初代PWAフォイル・ワールドチャンプの座を獲得した。
「僕らのフォイルは安定性、風域、上り性能、スピード、そして何よりライトウインドでボードを浮かせ、浮かせ続けるという性能において、申し分のないレベルにまで達している」だがそれで終わりではない。彼らは言った。「これで次のステップに進む準備ができた」
ウインドサーフィンの今を未来につなげるiQFOiL、オリンピックへ
次のステップ。それはオリンピックの舞台に、オリンピックを目指すすべてのウインドサーファーに、フォイルを供給することだ。チャンスは2019年9月に訪れた。この記事の冒頭に記したように、ワールド・セーリング(国際セーリング連盟)が、2024年パリ五輪の公式艇種を決めるための海上トライアルを開催したのだ。最終候補の5艇の中に残っていたスターボード社のフォイルももちろんそこでデモ・ライドを披露した。
それまでに改良を重ねていた『レーシング・フォイル』は『iFOiL』『iQFOiL』と名前を変えていた。わかりやすい変更点を挙げれば、フロントウイングがやや前方(ノーズ寄り)に位置するようになったことで、実際的なフォイルのパワーが増大していた。リアウイングの角度を調節することで、オーバーパワー時のコントロール性を高める機能がついていた。さらに相当なラフコンディションになった場合には、フォイルをフィンに変えても走れるようにトータル・パッケージの在り方も変えていた。
「5ノット(2.5m/s)から35ノット(17.5m/s)までの風を、このワンセットでカバーできる」その触れ込みをその場で実証した『iQFOiL』は、最終的に有効票の過半数以上の賛成を得て、五輪公式艇の称号を勝ち取った。
それは最先端の道具でオリンピックを戦えるようになるということだ。イムコやRS:Xの時代にはその性能を凌駕するハイグレードな道具(エキップ、フォーミュラなど)があり、トップ選手の多くはそちらの世界を選んだ。オリンピックを目指す選手のみがディチューンされた(性能の落ちる)道具で戦っていた。
でもこれからは違う。『iQFOiL』は微風から強風まで、オリンピック風域で比類のない総合力を発揮し「全風域で速い」道具だ。いつでもダイナミックにウインドサーフィンを楽しめることから年々人気も高まっている。
これでまたオリンピックが最高の舞台になる。このスポーツを再燃させる起爆剤になるかもしれない。
各方面から賛辞が届いた。中でも印象的だったのは、2012年のロンドン五輪と2016年のリオデジャネイロ五輪でRS:X級を連覇、W金メダリストとなったドリアン・ヴァン・ライセルベルゲ(オランダ)の言葉だ。
「ウインドサーフィンの限界は、みんなが知らないところにある。(フォイルによって)多くの人がそのことに気づいてくれたんだと思う。このスポーツをオリンピックに留まらせ、よりエキサイティングな未来に導くことができて本当によかった」
変化が必要だったのだ。今も昔もオリンピックはウインドサーフィンの一部だが、もう「特別な一部」でも「特異な一部」でもない。『iQFOiL』によって、それはウインドサーフィンの「今を象徴する一部」となり「未来の夢につながる一部」になったのだ。「本当によかった」
|| 驚くべきフォイルの揚力発生効率
ではなぜフォイルには微風でも乗り手ごと道具を浮かせるほどの力があるのか?
法則がある。揚力(Lift)は流体の密度に比例し、速度が増すほど強くなる(流速の二乗分)というものだ。
流体とはセイルに対する空気であり、フォイルに対する水である。そして水の密度は空気の約830倍とされている。
だからアメリカズカップの大型艇もリフトさせることができる。ウインドサーフィンを浮かせることなどわけないのだ。翼幅900mmのコンパクトな『iQFOiL』があれば、ウインドサーフィンはすぐに浮き上がることができる。セイルに少しでもパワーが得られば容易に加速し、浮き続けることができるわけだ。
|| iQFOiL でレースが変わる
2024年のパリ大会より、オリンピックのウインドサーフィン・クラスのレースは『iQFOiL』という最先端のワンデザイン・エキップメントを用いた戦いとなる。これにより何が変わるか?
1)まずはウインドサーフィンの弱点とされていた微風時のレースが激変する。これまで微風でボードを何とか滑走させようとしていた風域で、フォイルは軽々と滑空する。微風時からフォイル本来のフライトレースが成立するのだ。もうこれでコンディション左右されることがほとんどなくなる。競技関係者も選手もギャラリーも「今日はレースがやれるのか?」と心配せずに済むことになる。見せる競技としての価値も高まり、メディアへの露出も増えるだろう。
2)ボードが海面からリフトするフォイルは走行時の抵抗が少なく、横流れしにくい。そのため(風上への)上り性能が高く、しかも苦手なセイリングアングルを持たないので、レースコースにバリエーションを作りやすい。アップウインド・コースレーシングもダウンウインド・スラロームも、その他の様々なレース形態にも対応できる。大会初日から最終日まで、いくつかのレースコースを採用して、レースの緊張感を高めることも可能だ。
3)微風からリフトする力の大きいフォイルでは、選手の適応体重が広がり(例えば微風時のパンピングレースなどで顕になる)年齢による体力差が順位にもたらす影響も小さくなると考えられる。そうだとすれば当然オリンピックを目指す選手は増えるだろう。2018年からフォイル競技を行っているPWAワールドツアーからもオリンピック・クラスに参戦する選手が出てくるものと思われる。スペシャリストか、ワールドカッパーか? 本当の世界一は誰だ? そんな戦いの構図も生まれて、ウインドサーフィン界から世界的なビッグ・アスリートが誕生することになるかもしれない。
4)さらに『iQFOiL』にはサイズこそ違うものの、同じデザインを踏襲したジュニア&ユースのための道具も用意されている(※ 新艇種 iQFOiL とは? 後編参照)。これまではオリンピックを目指すと決めて、そのための道具に乗れる体格になってから本格的なトレーニングを始める選手が多かったわけだが、これからは少年・少女時代から『iQFOiL』で楽しく練習を積み上げて、そのままオリンピックへという流れも生まれてくるはずだ。そしてその流れは、4年後、8年後・・・と、この種目の競技レベルをとんでもない高みへと引き上げていくことだろう。
5)こう考えてみてわかるのは、最先端のフォイルの魅力は、これまでより多くの人にウインドサーフィンを知らしめることになるだろうということ。そしてオリンピックとPWAワールドツアーや、潜在層を含む草の根レーサーまでをもひとつにコネクトする力を持つことになるだろうということだ。その時、その総合力がレースを変えないわけがない、ウインドサーフィンを変えないわけがない、という気がする。
2000年シドニー五輪・ミストラル級ニュージーランド代表、銅メダリストのアーロン・マッキントッシュは次のように言っている。
「“If you want to predict the future, you create it”. 未来を予測したいなら、それを生み出すことだ。既に次世代の多くのウインドサーファーが2024年のオリンピックに出場したいとその夢を語っている。iQFOiLは彼らが未来の夢を実現するに相応しい乗り物だと僕は思う」
(※ 新艇種 iQFOiL とは? 後編に続く)
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