「運でモノにできる夢などない」
─── 2006年9月14日、15日。マウイ島に巨大なサウス・スウェルがブレイクした。10年に一度クラスの南のうねりだ。
マウイ島の西にはラナイ島があり、南側にはカホオラウェ島がある。普段はそれらの島にブロックされて南寄りのうねりはマウイ島までは届きにくい。だがその日のうねりは、二つの島の間を目がけてきたように、ほぼ完璧なアングルからマウイ・サウスショアへと押し寄せた。
東寄りのトレードウインドが吹いていた。ウインドサーファーの多くはホキーパなど、ノースショアでウェイブライドしていたが、ややオフ気味のガスティな風に物足りなさを感じていたようだった。
「そんなときには島の南側をチェックしろ」それがマウイを本拠とするウインド乗りの常識だ。
風さえうまく入っていれば、ポートの風で極上のウェイブライドを満喫できることがある。
14日。ロビーと仲間の数人はラ・プルース(La Perouse)へ向かった。だがそこに辿り着くことはできなかった。
大きなうねりが運んでくる水の量は半端ではなく、普段は海であるところから溢れ出て、道路を水没させていたからだ。
翌15日。ロビーが仲間に連絡する。
「おい、仕事なんかしてる場合じゃない。ラ・プルースへの道が通じたぞ。昨日のサウスの様子なら、今日も乗れる可能性が高い、すぐ出るぞ!」
正午ごろ。マウイの南の端、ラ・プルースに到着した一行は息を呑んだ。波打ち際の黒々とした溶岩の向こうに、ターコイズカラーの絵の具を溶かしたような海が輝いていた。波はマストオーバーでかなり掘れており、少しオフ気味の風がフェイスをスムーズに整えて、リップの水を飛沫にして波の後ろへと飛ばしていた。
「しかもサーファーは5人しかいない。最高だ!」
それからロビーたち───ロビーとミキ・シュウェイガーとジョッシュ・ストーン───は4時間ぶっ通しでその波に乗り続けた。三人とも時間を忘れ、疲れを忘れ、自意識も飛んでいた。みんながゼロに近い状態だった。
ジョッシュはのちにこう言っている。
「ロビーがしつこく電話をしてくれて本当に良かった。あの日のラ・プルースは、間違いなく自分史上最高のラプルースだったといってもいい。ロビーに一生モノの思い出をもらったって感じだ」
ロビーは言う。
「運でモノにできる夢などない。今回のラプルースにしてもそうだ。僕はずっとそこで乗りたいと願い続け、波と風がマッチする日を待ち続けた。ずっとウォッチし続けて、何度も現地に出掛けては落胆した。それでも諦めなかったからこそ、夢を叶えることができた。そりゃあ楽しかったよ。まるで10代のウインドキッズのように仲間たちと奇声を上げて、4時間も乗りまくった。ただあの波に乗りたいという思いを実現しようと夢中だった。誰もが体験できることじゃない。オレたちみたいなオヤジ、滅多にいないんじゃないかな」
─── なかなかいいコンディションに恵まれない、と僕らは言う。10回に1回くらいしかいい風に当たらない、みたいなことを。でも同じような環境境遇にある人の中にも、10回に2回、3回と風に恵まれる人もいる。いや、恵まれるのではない。僕らは本当に求めているのか、ということなのだろうと思う。
────────────── Windsurfing Magazine ────────────── ウインドサーフィン マガジン ──────────────